10.朝が来れば消えてしまう




あれは燐か、それとも戦の残り火か。






戦が終わった。
武田軍の辛勝、と言えばよいのだろうか。実のところは被害が大きすぎて、勝ったという実感は全く無い。熱の消えた戦場はひんやりと静まり返り、視界を塞ぐ夜の闇と、血のにおいに麻痺してしまった嗅覚は、別の感覚を異常なまでに研ぎ澄まさせる。

足元に倒れる赤と青の旗、共に闘った人々、敵だった人々。

自分の足音と、呼吸の音がうるさかった。

「誰か、…」

掠れた声に、これが自分かと驚いた。
足の踏み場も無いほどの戦の残骸。
時折、避けきることができずに感じる、残酷な柔らかい感触と、骨の折れる音。

「誰か…いないか」

気が狂いそうだった。

踏み潰したものの中には、自分が切った者もいるだろう。同じ旗の下に闘った者もいるだろう。
生きている者がいないことなど、わかっていた。
それでも声を出さずにはいられない。


『放せっ、まだ、まだ終わっておらぬ!』

彼の主である幸村は、周りから鬱陶しいと言われるほどよく騒ぐ男だが、戦場においては正気を失うようなことはけしてなかった。その幸村が、深手を負った左腕もかえりみず、ひたすらに叫んでいた。
『独眼竜との手合わせ叶わぬまま、退くわけにはいかぬのだっ!』
あまりに悲痛なその声に、耳を覆いたくなった。
『放してくれっ…!』

あの左腕は、きっともう使えない。



「…誰か」

誰か、と呼びながら、探しているのはたったひとりだった。

「誰かっ…」

気が狂いそうなのは、戦場のせいではない。
歩くたびに漂う臭気。しかしすでに吐くものなど胃液すら残っていない。
戦とは残酷なものだと言い切った気高き独眼の青竜は、これを見てもまだそう言うのだろうか。


小さな息遣いに足を止めた。
目の前に見えたものに、思わず膝をつく。

まだ生きていた。生きていてくれた。

手で顔を覆い、表情を隠した。

「よろよろじゃねえか」

研ぎ澄まされた感覚には、あまりにも鮮明すぎる声。
震える手で、自分の前髪を強く掴む。

「…っとに…嫌なお人だよ」

「こんなところで探し物か?佐助」
「…あぁ、」

随分探した。
こんな時間外労働、もうまっぴらだ。

そっと歩み寄ると、いつもと同じ憎たらしい笑みを向けてくる。
兜をはずしてやると、政宗が小さく息を吐いた。少し血に汚れているだけで、いつもと変わりない。

「アンタは平気そうだね」
「当然だろ」

いつもの軽口に表情が緩み、知らず涙がこぼれた。
その隻眼を見つめたまま。
彼の穴の開いた腹と、血溜まりを見ないように。




同じ石に背を持たせて座ると、ひんやりと冷たかった。
「負けたぜ…惨敗だ」
「だから何度も言ったでしょ、逃げた方がいいって」
「うるせえ」
笑い声が、背中の石から伝わってきた。
「…これからどうする?」
「そうだな…」
小さなため息が聞こえる。

「日が昇ったら…奥州に、帰る…」
「そう…」
「ああ…その前に、佐助んとこで、蕎麦でも…食ってくかな」
「…ゆっくりしていきなよ、旦那も喜ぶから」

今度は深いため息が、ゆっくりと。

「佐助」
「ん?」
「日が昇ったら、起こしてくれ」
「…ああ」


おやすみ、と、初めて政宗の名を呼んだ。
くすぐったそうな笑い声と、息を吐く短い音がした。




遠くに光が見える。
あれは燐か、それとも戦の残り火か。




「おやすみ…」

小さくなる寝息を聞きながら、東の空を見つめ続けた。










(2007/2/7)