05.誰もいない通り、街灯の下
空に張り付いた灰色の雨雲は、夕暮れ時の美しい緋色を隠し、窓から見える四角い街は、どこまでいっても薄暗かった。
「好きにしたら?」
明かりをつけないままで、外より暗い部屋の中。穏やかな声音の、しかし突き放すような言葉に、政宗はようやく佐助の機嫌が悪くなったことに気付いた。ただなんとなく眺めていた雑誌から顔を上げると、無表情な佐助の横顔が目に入る。
いつもと変わらない、何でもないやりとりのつもりだった。
政宗が憎まれ口を叩くのはいつものことで、佐助も大抵は聞き流していた。
今日はどういう訳か、聞き流せないほど佐助の気に障ったらしい。
「…何だよ、急に」
「だから、そんなに俺といるのが嫌なら出て行けば、って言ってるの」
明るい話題を伝える夕方のニュース番組を見ながら、にこりともせずに佐助が言った。
『今度の日曜日空いてる?』
『あぁ?』
『車借りてきたんだ。ドライブ行かない?』
『嫌だね、めんどくせぇ』
『そんなこと言わないでさ、たまにはいいだろ?』
『お前と行くくらいなら寝てたほうがましだ』
『……ねぇ、伊達ちゃん、』
『行かない』
窓の外を見れば灰色の空は今にも泣き出しそうで、風に吹かれて揺れる木は細く、いかにも頼りない。
(自分が悪い)
(分かってる)
分かっていても、自分から頭を下げることがどうしてもできない。
それでも、自分のそんな性格を恨めしく思えるようになっただけ昔とは変わったのだと、政宗は佐助を見ながら思う。
「…あぁ」
小さく言って、政宗は立ち上がった。
玄関のドアが閉まる瞬間、その隙間から見えたのは、テレビの方を向いたままの佐助の後姿だけだった。
通りへ出て、行く当てもなく歩き始める。夕日は雲で見えないが、夜の闇はこんな天気の日でも、ゆっくりと、確かにせまってくる。
こんな呆気ない終わり方が、自分には合っているかもしれない。
佐助と一緒にいるようになってから、何故かいつも不安だった。微笑まれるたび、優しい言葉を向けられるたび、この雨雲のような不安がまとわりついて離れなかった。
『嫌なら出て行けば?』
(嫌でなかったら、いてもいいのか?違うだろ?)
いつでも、あらゆる選択は自分に委ねられて。優しいようで、そのくせ佐助はただ微笑むだけで何も言わない。
本心が見えないのだと気付いた時には、もうそれを覗くのが怖いと思うくらいに溺れていた。
やはり最後まで”選ぶ”のは自分だったけれど、突き放すようなその声は有無を言わせない響きで、佐助の本心を初めて見た気がした。
しかし立ち込めた雲は消えることなく、今にも雨が降り出しそうだった。
辺りはすっかり暗くなり、湿った空気だけが未だ空を覆う雨雲の存在を示している。
街灯の明りがつきはじめて、政宗ははじめて通りの真ん中に猫がいることに気が付いた。
近づいても逃げもせず、小さく鳴いて差し出された政宗の手にすり寄った。長くて柔らかい首の辺りの毛をそっと避けてみると、細い首輪がのぞいて見える。
「…お前は不安じゃないんだろうな」
目に見える誰かが付けた所有の証は、街灯の光を受けてきらきらと揺れていた。
* * * * *
「……やっぱり嫌なんだ」
背後でドアの閉まる音がして、佐助はがくりとうなだれた。
ほんの少し、怒ったふりでもすれば何か違った態度を示してくれるのではないかと、期待した5分前の自分を呪いたくなる。
梅の花が咲いただの、これから降る雨で梅が散ってしまうのが心配だのと伝えていたニュースは、いつの間にか今週の天気予報に変わっていた。
政宗は素直に何かを伝えるタイプではないのだと、本当に自分のことが嫌いなら、何も言わずに離れているだろうと。
思い返せば自惚れもいいところだと、佐助は深いため息をついた。
テレビでは、これからは一雨ごとに暖かくなるのだと、天気予報士が告げている。
(無責任なこと言うなよ)
そんな保証がどこにあるのか。
玄関には、置いていかれた傘がふたつ、そのままになっている。
佐助は傘を一本とると、人気のない通りへ向かった。
自分の独占欲が人一倍なのを知っているから、相手を縛り付けないようにすることに必死になっていた。
束縛せずにいることを、こんなに不安に思っている自分を見透かされないように。
もしかしたら、それにすら気付かれていたのでは無いかと焦り始めた時、街灯の下にしゃがみ込む政宗の姿が見えた。
何と言って声をかけようかと足を止めると、政宗が何か呟いた。
「…お前は不安じゃないんだろうな」
その言葉に、思わず目を見張る。
寂しさを含んだその声を、ひどく甘く感じた自分は嫌な性格をしていると自嘲した。
「そうでもないんだけど?」
振り向いた政宗に、佐助は雨が降り出す前で良かったと微笑した。
結局すれ違ったままですね。なんだこれ。
(2007/2/25)