小春日和の、縁側の
「うう…」
なにかにつけて喧しい幸村が、その時はやけに神妙な顔つきでうなり声をあげていた。文机の前に座っていたが、筆は美しい紙を前に小一時間前から進んでいない。時折、部屋に面した縁側に目をやっては、薄暗い文机とは正反対のうららかな春の日差しを眩しそうに眺めていた。
そして、その小春日和の恩恵を一身に受けながら柱に背を持たせて目を瞑っている忍びを見て、幸村はまた真っ白な紙に視線を落とし、小さくうめいた。
「さ、佐助…」
「はい」
やはり眠ってなどいなかったか。
油断ならぬ、と佐助に聞こえない程度の声で呟き、躊躇いつつ言葉を続けた。
「あー、筆が進まんのでな、少し外へ出て気分転換を…」
「奥州までは”少し”とは言わないけどね」
「…」
「…」
お互い目も合わせず、穏やかな春の情景の中で勃発した冷戦は、未だ収まる様子を見せない。
まだほんの少し肌寒い春風が、さらさらと淡い桜の花弁を散らす。その染み入るような音に、幸村の胸中は俄かに苦くなる。
見ろ、桜が散ってしまうではないか。
世辞であり、社交辞令であり、書簡の末尾を飾る常套句だとしても。
来いと言われたのだ。奥州の桜を見に来るといい、と。
「佐助」
「はい」
「団子を買いに行ってくる」
「人を遣らせます」
「い、いや、俺が自分で…」
答えるのも億劫だと言わんばかりに、佐助は大きくため息をつき、視線だけをちらりと幸村のほうへ向けた。
「あのねぇ…、そんなことしても無駄だって。この前勝手に奥州行ったばっかりだろ?いちいち迎えに行かされるこっちの身にもなってくれよ」
「それはそうだが、しかし…」
「ちなみに奥州はまだ桜は咲いてませんよ」
「そうかもしれんが、きっと今頃は臥龍梅が…ん?」
紙に視線を落としたままだった幸村は、はっとして縁側にいる佐助を見た。佐助は柱に背を持たせたまま、にっと意地の悪い笑みを幸村に向ける。
「佐助、お主何故桜のことを」
「おっと、言っておくけど勝手に書簡を読んだりはしてないからな」
聞けば、先に幸村が勝手に奥州へ押しかけた件について、武田信玄が詫びを入れるために佐助を奥州へ遣わせたのだと言う。幸村は恨めしそうに佐助を見ながら、また低くうめいた。
「あんたが羨ましい」
突然押しかけて手合わせを請うた幸村に、政宗は笑いながらそう言った。
どういう意味かは分からなかったが、こうして幸村が、どういう形であれ奥羽の地を訪ねてきたことを、少しでも快く思ってくれているのだという気がしたのだ。あんな風に、楽しそうに笑う政宗を戦場で見ることなど、決してできないだろう。
「…政宗殿は何か言っていたか?」
「侘びなんて今更だろ、とか何とか」
「…俺のことは?」
「別に何も」
がくりとあからさまに肩を落とす幸村を見ながら、佐助は笑いを堪えるのに必死だ。また俯いて唸り始めた幸村に、さていい加減独眼竜から渡された土産の梅の枝を見せてやるかと佐助が声をかけようとした時、幸村がのそりと顔を上げて、佐助、と呼んだ。
「政宗殿は、その、お元気であったか」
「はぁ、そりゃ、いつも通りお元気でしたよ」
「そ、そうか」
それだけ聞いて満面の笑顔を浮かべる幸村に、佐助は少し拗ねたようにため息をついた。
「どうした?佐助」
「いや、何か敗北感が…。これ駄賃代わりに俺様貰っちゃおっと」
「政宗殿から何か渡されているのか?!」
「別にー?なーんにも貰ってませんよ?」
「嘘を申すな!あっ!どこへ行った佐助ぇ!」
忍びらしく煙を残して消えた佐助を、幸村の騒がしい足音が追う。
静かになった縁側で、残された春風がさらさらと柔らかい笑い声をたてた。
まだほんのり冷たい春風っていいですよね。
(2008/3/24)