三手のための教え




西につくと確かに言った。
しかし馴れ合うつもりは更々無いとも自分は言ったはずだ。
真田幸村からの書状に目を通し、その不機嫌を隠そうともせず政宗は顔を顰めた。
「小十郎」
「は、」
「読んでみろ」
ほとんど投げ捨てるように書状を小十郎に渡すと、政宗はさっさと文机に向かって仕事に戻ってしまった。主の気性に慣れた腹心は、膝元に落ちた書状を拾い上げて声に出した。
「さにあたりて漫ろにもよしなくは、げに憫なきけしきにて、……何ですか、これは」
「『手前は冷てぇから、もっと優しくしろ』だとよ」
「誰にですか」
「知るか!誰だ『佐助』ってのは!」
書状の前後に目をやれば、なるほど所々に『佐助』という名が現れる。どうも話の主軸がずれて感情が先に立つ文章は、いかにもこの書状の送り主らしい。
しかし、政宗は聞き覚えていないようだが、小十郎はこの名を覚えていた。
「政宗様、この『佐助』というのは、いつも真田の書状を運ぶ忍びの名でございます」
聞いて政宗は思い出すどころか、更に不愉快そうに悪態をついた。
「草ごときに優しくしろだと?何様だあの野郎…」
いらいらとした様子で政宗は煙管に火を入れた。機嫌の悪い主の声を聞き流しながら、小十郎は書状の先を読む。
幸村の言い分によれば、この『佐助』という忍びは、彼の持つ忍びの中で最も信頼でき、腕も立つのだという。それが、どういう訳か政宗の下へ書状を届ける任だけは、言いつけるたびに顔を顰めて渋るのだ。この東西を分けての大戦を前にして、どうしても重要な役目はこの忍びに任せたいのだと、連綿とつづられている。
確か、この『佐助』という忍びはまだほんの子供だった。
初めて書状を届けた際の、帰り際の『佐助』の表情を思い出し、小十郎は思わず吹き出しそうになった。
「政宗様」
腹の虫がおさまらない政宗は、返事をせずに視線だけをちらりと小十郎に向ける。
「西につくとご決断なされたのですから、真田らの慣習にもご配慮ください」
「わかっている」
政宗が苛立たしげに盆の端に煙管を叩きつけた。

この博打を打ったのは自分だ。
ここまで来たのだ。負けぬ博打にするしかない。
しかし、高々忍び相手に、とも思う。

小馬鹿にしたように鼻で笑い、政宗は煙管を小十郎へ向けた。
「要するに」
その忍びが、奥州へ来るのを渋らないようにすれば良いのだ。
「別段、優しくしてやる必要はねえだろ?」


* * * * *


小十郎が言った通り、その忍びは夕刻近くになって政宗が筆を執る間の前の、庭先に現れた。
いつも庭に面した廊下にぽつんと置かれているその書状を、小十郎以外の者が先に拾ったことは無い。おそらく忍びはどこかで小十郎が通るのを見張っているのだろう。
「来たか」
ため息と一緒に紫煙をはきながら政宗が言うと、書状を持ってやって来た佐助は、苦々しい表情を隠しもせず目を背ける。
見ればせいぜい十三、四歳の餓鬼である。
(何が『腕も立つ』、だ…)
政宗はだらしなく着物が捲れるのも構わず、片膝を立てたまま煙管をくゆらせ、これからこの餓鬼相手に自分が一芝居うたねばならないことに辟易としていた。それと同時に、少々自分に呆れてもいた。
佐助の髪は、今まで見たことも無い夕日色をしている。
興味がなければとことんまで相手を見ない自分の性分は理解しているつもりだったが、ここまでとは。
自嘲し、静かに立ち上がると、政宗は佐助のほうを見ないまま、「来い」とだけ言って歩き出した。
しかし、数歩歩いても佐助の気配がついて来ないことに気付き、振り向く。
「何してんだ。ついて来いって言ってんだよ」
「何故です」
ここに来て初めて佐助が口を開いた。予想より感情のこもらない低い声である。
「先の書状の返事がある」
「いつもは早馬でなさるでしょう」
口答えの多い餓鬼だ。
政宗は向き直り、面白そうに佐助を見、口の端を上げて笑った。
「ああ、無事に届ける自信がねえか?そりゃ悪かった。なら早馬に届けさせよう」
言えば佐助は易々と挑発に乗り、不機嫌を滲ませながら政宗の後に続く。
佐助がちゃんとついてくるのを確認すると、政宗はまた廊下を歩き始めた。

自室に入り、文机の前に座って脇息に片肘をもたせる。煙管を置いて幸村宛に書いた書状の封印をもう一度確認し、離れて座っている佐助に差し出した。四、五歩分ほど間があったため、佐助は礼儀に則って頭を下げ、静かにすり膝で近寄った。型どおりに頭を下げたままの佐助を見ながら、政宗は文机に置かれたもうひとつの書状を手に取った。こちらには封印は無く、蛇腹に折られただけのものだ。
「顔を上げろ」
言うとほとんど睨むように不機嫌顔がこちらを向いた。知らぬ間に随分と嫌われたものだと政宗は小さく笑う。
「今渡したのが幸村に宛てたもんだ。で、こっちが手前用」
佐助の表情が固まったのが、はっきりとわかる。蛇腹の紙を受け取りかねて、逡巡しつつ口を開いた。
「目の前にいるんですから、口頭で仰せください」
「漢字(まな)は読めねぇか?」
はらりと広げて見せると、それほど長くは無い文面が現れた。馬鹿にされていると思ったのか、佐助の眉間の皺が深くなる。政宗は構わず紙を佐助の膝元に置き、煙管でとんと軽く叩きながら説明した。
「これが手前の名だ。姓はあんのか?…まぁ、知らねえから勘弁しろ。ここからが内容だ」
「……アンタの名は?」
「何だ、気になるか?」
意外に思いつつ、からかうように笑ってやると、ただ硬いだけだけだった不機嫌顔が年相応の渋面に変わった。
「漢字くらい知ってるしアンタの名だってどうでもいい!こんな雀の躍り足、読めるかっ!」
佐助の言葉に、政宗は堪えきれずに脇息を叩いて笑い出した。
「雀の躍り足か、違いねぇな」
忙しい合間に適当に書いたため、その筆はほとんど草書になってしまっていた。
こんな餓鬼に窘められるとは、と呟きながらも、聞き飽きてしまった世辞の褒め言葉より、政宗の筆跡をくさしたそれはずいぶんと綺麗な響きを持っていた。
書き直すと言って手を伸ばすと、佐助は「別にいい」と乱暴に紙を取り上げた。礼儀も忘れてとっとと部屋を出ようと立ち上がった佐助に、政宗は人の悪い笑みを向ける。
「手前みてえな礼儀知らずは嫌いじゃないぜ」
その一言に、頬を引きつらせた佐助の顔が赤くなる。
からかい過ぎたかと政宗は口許に手をやったが、佐助のわかり易い反応を見ていると、どうにも表情が緩んだ。
「そいつが読めたらまた来い。今度は天下様お墨付きの書を書いてやるよ」
夕日色の背に言ったが返事は無く、佐助はほとんど走るようにして庭へ消えてしまった。



「雀の躍り足、ねぇ…」

頬杖を突いて夕日の消えた庭先を見ながら、政宗はしばらくその響きを楽しんでいた。










一周年記念SS。
関ヶ原あたりで伊達が西軍についたと思ってください。orz
幸村の書状は「それ(佐助)に対して理由も無く冷たくするのは、気の毒なのでやめてほしいでござる〜」程度のことしか書いてません。
(2007/12/21)