錆
血は鉄錆の味がするものだと思っていた。
「うっ…」
しかし実際他人の血が多量に口に入ると、ひどい生臭さに嘔吐感がこみ上げてきた。戦場を抜け、対岸まで幾許もない小さな川にたどり着くと、政宗は兜をはずして水の中へ頭をつけた。
「はぁ、はっ…」
一瞬だけ楽になったかと思ったが、すぐに髪や陣羽織に染み付いた血の臭いが鼻につく。息が詰まり、堪え切れずまた水の中に頭をつける。
「――の!殿っ!」
突然誰かに襟首を掴まれ、無理矢理水の中から引き上げられた。肩で息をしながら見上げると、まだ少年のような面構えの武者が顔色を青くして政宗を見ていた。
「成実…」
「何してるんですかっ…!まさかこの浅瀬で溺れてたなんて言わないで下さいよ!」
がなり立てるように言われ、政宗は顔を顰めて成実を睨みつけた。耳元で響いた大声に吐き気が酷くなる。
「Shut, up...!」
その様子と政宗の陣羽織に染み付いた血の臭いに、成実はようやく合点が行き川端の石に座って息をついた。
「いきなり走っていくから驚きましたよ。血に酔ったなら素直にそう言やぁいいじゃないですか」
「だから…、黙れっつってんのが聞こえねぇのか」
むせて嘔吐きながら、それでも悪態をつく政宗に、無事ならいいと屈託無く成実が笑う。
「怪我はなさそうだけど、どうしたんです?この血は」
返り血にしてはひどくべったりと付き過ぎている。近くに放り出された政宗の刀に目をやると、その刀身が柄の辺りまで真っ赤に染まっていた。
「相手は間違いなく死んだでしょうね」
「…どうだか」
苦々しく言いながら、政宗は口許を拭った。睨む先の空は高く、まさに秋晴れの空である。微かな風も、濡れた髪には冷たいほどになっていた。
「あ」
目に入った対岸の人影に、政宗が思わず声を出した。つられて成実も顔を上げる。
「うわ、ありゃあ・・・ひでぇな」
戦慣れしている成実すら顔を顰めるほど、対岸で川の浅瀬に倒れこんだ男の傷は酷かった。右の二の腕の辺りの着物が、模様も分からぬほど血でどす黒く染まり、血を流しすぎたのか、男の顔は遠目にも蒼白だった。
「やっぱり生きてやがった」
「あいつですか」
成実が立ち上がり、刀を握り直した。
「動けねえくらい抉ってやったんだがなぁ…」
戦場で突然現れた忍びと、数度刃を交えた。
隙を見せた相手の右腕の帷子を砕き、手応えを感じたところで影秀の柄を更に押して横へ抉ると、あまりの痛みに相手が呻き声をあげ、膝をついた。
もう動けまい。
そう思い、興味を無くした政宗が目を逸らしたその一瞬、ほとんど千切れそうなほどに抉ったはずの右腕で、忍びが手裏剣を投げつけてきた。政宗はそれをぎりぎりでどうにか防いだが、一拍遅れて後に続いた忍びの血を防ぎきることはできなかった。
「そりゃ油断しましたね、殿」
「全く…」
相手の血を見てまた気分が悪くなったのか、政宗が顔を歪めている。その様子を見てため息をついた成実は、ふと顔を向けた先の対岸の男が未だに川の中に突っ伏したままなのに気付き、いよいよ死んだかと首を傾げた。
「おーい、忍者ぁー!死んだかー?」
成実が声を張り上げると、うつ伏せのままだった明るい色の頭が急に顔を上げ、驚いた様子で辺りをきょろきょろと見回した。そしてこちらに気が付くと、あからさまに嫌そうな顔をする。成実が声を上げて笑った。
「なんだ、しぶといなぁ」
「とっとと上がれ武田の!川が汚れる!」
政宗の一言に、対岸の男は更に不機嫌な顔になった。成実は腹を抱えて笑い出す。
「そ、それはいくらなんでも酷いですよ」
「知るか」
それどころではないらしい政宗は、自分の髪についた血の臭いをとろうと必死だ。対して武田の忍びは、失血が酷すぎて声も出ないのか、言い返すこともせずただ剣呑な目をこちらに向けている。
「ん?」
「うわっ?!」
突然、水面から黒い影のような腕が2本突き出した。避ける間もなく政宗の頭を掴むと、そのまま水の中へ引きずり込む。成実が刀を引き抜き、間髪入れず腕を切ると、それは一瞬で水中に霧散した。
「すげぇ…」
むせ返る政宗をよそに、初めて忍びの術を見た成実は目を丸くして影が消えた水面と自分の刀を見比べていた。
「ってめぇ、忍び!!」
こちらの様子を大笑いしながら見ていた忍びは、苦しそうにしつつも今度は口を開いた。
「自業自得だろ!アンタは、いつも、人のこと馬鹿にして油断しすぎなんだよ!」
それだけ言うと、這うように川から上がり、木の陰へ消えてしまった。
「殺して来ましょうか?」
影を斬った感覚がよほど気に入ったのか、成実がにっと笑って政宗に聞いた。しかし政宗は首を横に振る。
「放っておけ」
「相変わらず性格が悪い。あの傷じゃ一思いに殺してやったほうがいいんじゃないですか?」
「あいつが手裏剣でどこ狙ったか、分かるか?」
政宗の突然の問いに、成実は軽く首を竦めて見せた。どうせ喉元かどこかだろうと答えると、政宗は鼻を鳴らして笑う。
「左目だ」
対岸を睨みながら、政宗が吐き捨てるように言った。
怪我をし命をとられるかもしれないという状況で、それでもあの忍びは大将の首ではなく、その恐怖を選んだ。
「やれやれ、どっちもどっちだ。そういうの身から出た錆って言うんですよ」
成実は笑いながら刀を鞘へ納めた。
成実。基本は幸村に負けず劣らずの戦馬鹿だけど、政宗と同じ教育をうけているだけあって思考がウィットに富んでいる。政宗の隣にいて、同じ伊達の姓である分、身分差というものを肌で感じているので、伊達三傑の中でいちばんシビア。
って勝手な設定を一応作ってあります。
(2007/10/9)