やさしい はなし
初夏の空気がある。
夜はまだ少し肌寒く、大きく息を吸うと、すっと清んだ夜気を感じる。
星と月明かりだけで城下が見えるほど、濁りの無い夜だった。
微かに聴こえる虫の音が耳底に心地良い。
こういう夜は、来ない。
そう思った矢先だったため、突然間の抜けた欠伸が聞こえたのには、さすがに驚いた。
「忍ぶ気がねぇなら忍者なんかやめちまえ」
「いやあ、俺様、天職だと思ってるんだけど?」
こんな他愛ないやりとりも、もう何度目になるだろうか。
相好が崩れそうになるのを抑えながら、政宗はこの声の主を戦場で初めて見た時のことを思い出していた。
ふざけた調子でぺらぺらとよく喋り、締まりが無い表情で、日常で見かけようものなら間違いなく政宗にとって鬱陶しい部類の性質だった。
だが、戦場だった。
微かに血塗れてさえいた。
死地での平静は、それこそ狂気。
夜空に一閃、星が走ったとき、政宗はついに堪えきれなくなり、楽しげに小さく笑んで息を吐いた。
「今日はやけに機嫌いいじゃないの」
「……流れ星に願掛けすると望みが叶うって、知ってるか?」
今度は佐助が、遠慮も無く笑い出す。
「ちょっと旦那、どうしたの?悪いモンでも食ったんじゃないの?」
「てめぇよりはマシなもん食ってるぜ」
「言ってくれるよ…。で?仙台様はどのような願掛けを?」
政宗は少し考え、目を細めた。
「成実の野郎が蒔いた朝顔が無事咲くように、ってな」
水をやるのが面倒だと言って、小十郎の畑にこっそりばらまいていたのを昨日見た。
雑草と一緒くたにされて引き抜かれなければいいけどな、と、ため息混じりに呟くと、佐助の笑い声が響いた。
「そりゃまた贅沢な願掛けで」
「…あんたは?」
あんたなら、どんな願掛けをする?
聞くと佐助の笑い声が止み、一瞬、沈黙が降りた。
「天下泰平、なんて…」
「…はっ」
「笑うことないだろ?いい事じゃない、戦もなければ飢餓もなし」
つまらない事を聞いた。
滔々と太平の世について語り出した佐助の声を聞きながら、政宗は佐助に聞こえない程度のため息をもらした。
この男の答えに何を期待したのかなど、政宗自身にも分からなかった。
戦場で佐助を初めて見たとき、確かに感じた。
言いようの無い不安が拭われるような、あの感覚。
この男も、戦乱の無い世に怯えている。
それだけで、鬱陶しいはずのあの無駄口が、今夜の虫の音のように心地良いものに変わった。
それなのに、この男は。
「…見せてやらねえ」
佐助の言葉を遮って、政宗が口を開いた。
「あんたみたいな戦乱の太平楽に、安寧なんざ見せてやらねえよ」
「……」
「その前に俺が、あんたを殺してやる」
「……そう?」
声色ひとつ変えない男に、政宗は唇を噛んだ。
苛立ちから餓鬼の様な口をきいてしまったことを悔いた。
結局、この不安を抱えていたのは自分だけなのかと思ったとき、いつの間にか背後に移動した気配に気付き、思わず体を強張らせた。
気配は政宗の刀がとどかない極限の間合いで止まる。
「竜の旦那がそうしてくれるなら、特に願掛けすることもないかな」
微かな虫の音にすらかき消されてしまいそうな声だった。
政宗が振り向くと、既にその姿はどこにも見当たらなかった。
指先が、わずかに震えていた。
「馬鹿な野郎だ…」
その口で語った太平の世に、佐助自身はいなかった。
「…あんたの願いくらい、いくらでも叶えてやる」
この不安を拭ってくれるというのなら、代償はいくらでも払おう。
耳低に残るその声に縋るように、強く耳を塞いだ。
久々すぎて文章の書き方を忘れた観があります。orz
でもサスダテ好きなんだ、書きたくなるんだ…!
当サイトのサスダテは複雑な依存の仕方をしてます。分かりづらくてすんません。
(2007/5/21)