草、杓らせえ




一度真っ白になってしまった頭を元に戻し、常軌を逸した状況を理解して、正しい反応を返す。
これほど難しいことはあるまい。
相手の手の内が見えない戦も、策謀が飛び交う外交も、その判断に全てがかかっている。
しかしここは、戦場でもなければ議場でもない。
台所だ。
魚屋の桶を担いだ戦忍と、割烹着を着た独眼竜と。
双方の戦場での鮮烈な印象を知る者が見れば、甲乙つけがたい滑稽さだっただろう。
お互いがお互いを見たまま黙り込み、ほぼ同時に口を開いた。
「何してんだ、武田の忍」
「何してんの、竜の旦那」
「あぁ、あれか、PartTimeJobか」
「ぱ…何だって?」
「安心しろって、信玄公には黙っといてやるから」
「え、何なのすごい誤解されてる気がするんだけど」
魚の品定めを始めた政宗に、佐助はつい反射的にもう一方の桶も開けてしまう。
「Good、なかなか新鮮じゃねえか」
「そりゃ今朝あげたばっかりですから…って違う違うもっと警戒して俺のこと!」
政宗はいかにも面倒くさげにため息をつき、視線を魚から佐助に移した。
「じゃあお前、この格好でやり合うか?」
「…」
分身する魚屋に六爪流割烹着の戦いを思い浮かべ、ふたりで脱力する。油断しきった私生活ほどやり合い辛いものはない。
「今日はもういいや…なんか情報ちょうだい。大人しく帰るから」
冗談半分に佐助が言うと、政宗は魚を手に取ったまま少し思案し、待てと言って奥へ引っ込んでしまった。

休戦協定の期間が過ぎて一ヶ月。
平穏無事なまま季節は移り、農繁期となってしまった今、甲斐や奥州だけでなく、ほとんどの国が自国の蓄えのために戦を避けていた。
「少し気を締めねばなるまいな…」
そう言ったのは、武田信玄だった。
忍びを放ち、奥州の内情を探らせたのは、北へ攻め入るためというよりは、むしろこの年若い国主への親しみを込めた警告なのだろう。穏やかな季節こそ戦乱の予兆であることを、真に群雄割拠の時代を生きた信玄はよく知っていた。

佐助が欠伸をしていると、政宗が何やらいろいろと持って戻ってきた。右手には餅の乗った盆、左手には美しい布包み、懐からは文のようなものがふたつのぞいて見える。
「待たせた」
「また何なのそれは…」
「さっき作ったずんだ餅だ。けっこう旨いぜ?」
味見してみてくれと言われ、差し出された盆から餅をつまみ、口に放った。佐助がそれを食べている間、政宗は楽しげにその様子を見ていた。何かを食べているところを人にじっと見られるのは何とも居心地が悪く、佐助は餅を飲み込むと、「何?」と思わず政宗に言った。すると政宗は突然吹きだし、その場で腹を抱えて笑い出した。
「ちょっと、何なの…馬鹿にしてる?」
「あー、いや、悪い。何でもねえ」
政宗は懐に入れてあった文のうち、小さく赤い印のある方を取り出し、美しい布包みと一緒に佐助に渡した。
「こいつとこの文を信玄公に渡してくれ。食い物だから急げよ」
「食い物って、さっきのずんだ餅?」
「おう。ああそれと、毒見は済んでるってついでに言っといてくれるか?」
その一言に佐助がはっとして顔を上げると、政宗の人の悪い笑みが目に入った。
「…参った」
「Ha!他国の心配してる場合じゃねえな、気合入れ直せよ?」
忍びが、敵対していないとは言え、他国の者が出した食べ物を疑いもせずに口にいれるなど、油断しきっている証拠だ。攻め入る気が無いのならば、わざわざ”草”を遣した理由など、信玄の老猾だが人の良い性格を考えればひとつしかない。警告の意をくみ取り、こんな形でそれを返したのは、馴れ合いも遠慮もいらぬという政宗なりの敬意を表した返答なのだろう。
佐助は渡された文と政宗の懐にある文を見比べた。
この独眼竜のことだ。佐助が何も考えずに餅を食べたことも書いてあるのだろう。
「竜の旦那、俺様そっちの文のほうがいいなぁ、なんて…」
「You stupid、滅多なこと言うんじゃねぇよ」
差し出した手を軽く叩かた。
政宗のその態度からして、受け取った文の内容は悪いものではないだろう。
戦場でもなければ議場とも全く違う、緊張感のない笑いがこみ上げる。
「やれやれ、俺様って損な役ばっかり。それじゃもう行くよ。ご馳走様」
「ああ、息災でな」
「旦那も」
何の情報も持たず、餅だけ持って戻るというのもおかしなものだが、信玄も幸村もおそらく喜んでくれるのだろう。その様子を思い、佐助は苦笑しながら甲斐へと足を向けた。

実りの季節は穏やかに、何事もなく過ぎていく。










拍手お礼SSのログです。
お礼SSはできるだけほのぼのした感じにするように話を考えていたのですが、何か違う方向に流れてしまった観が拭えません。orz
拍手ありがとうございました!
(2007/2/28〜4/8)