郷愁
真田氏が上田城へ移る前、幸村の祖父の代に使われていた松尾城は、今はすでに廃城となっている。展望の利くその城からは、周囲の山城を見渡すことができた。
上州との国境である北へ目を向けると、秋には美しい紅葉を見せる渓谷が広がっている。
角間渓谷と呼ばれるその場所に、鳥居峠があった。
高低の差が激しく危険であるため、近くの農村の者の姿はほとんどない。村の子供たちも親から近づくなと教えられていた。
しかし、そういう場所に、幼い心は神秘的な、あるいは冒険心をくすぐるような感覚を覚え、隠れた遊び場にするものだ。
その鳥居峠で、子供たちが顔を寄せ合って何かをのぞき込んでいた。
竹を裂く小気味好い音に、集まった子供たちが嬉しそうに笑い声をたてている。
彼らの視線は皆一様に、器用に小刀を扱う忍の手に注がれていた。
「はい、できた」
「ありがとう!」
手前の少女に手渡されたのは、小さな竹とんぼだった。
集まっていた子供たちの手には、みなひとつずつ様々な形の竹とんぼが握られていた。
「じゃあ、ここは危ないから村に戻って遊ぶんだよ?」
「はーい」
元気に走り出した子供たちを見送り、佐助は大きく伸びをしてそのまま後へ倒れこんだ。
秋晴れの空でくるりと輪を描いて飛んでいるのは、普段は戦場でしか姿を見せない彼の鳥。
生まれ故郷に戻ってきたのが嬉しいのだろう。
(ここは変わらないな…)
遠くから聞こえる子供たちの笑い声すら、昔、佐助がまだ忍ではなかった頃から一緒だ。
幼い頃の記憶はすでにおぼろにかすんでいたが、この峠の景色だけは鮮明だった。
あくびをする佐助の上に、影が落ちた。
「何してんだ?あんた」
「あれ、竜の旦那…」
現れたのは、故郷の風景とはずいぶんと不釣合いな人物。
「そっちこそ、こんなとこで何してんの」
「ん」
「?」
政宗があごで示した先には、先程の子供たちがいた。その中心には、子供たちに腕を引かれる幸村の姿。
「……ほんと、何してんだか」
子供たちと一緒になって竹とんぼを飛ばす主の姿に、佐助は苦笑した。
「軍議が終わってからな、真田のやつが近くに紅葉がきれいな場所があるって言ってよぉ」
「近くって、上田からここまで?」
「近くねえよな」
しみじみと言いながらため息をつく。
雀が3羽、目の前の地面を啄み、また飛んでいった。
向こうでは相変わらず幸村が子供たちと竹とんぼを相手に奮戦している。
(平和呆けしそうだなぁ…)
佐助がもう一度大きなあくびをした。
隣にいた政宗が佐助におい、と声をかけた。
「…ありゃなんだ?」
「子供に絡まれる真田の旦那」
「いや、そっちじゃねぇよ」
政宗が見ていたのは、子供たちの手から空へ飛ぶ竹とんぼだった。
佐助の作った竹とんぼは、高く飛んで見事な放物線を描いていた。中には不規則に方向を変えるものもある。
「へぇ、竜の旦那知らないんだ、竹とんぼ」
いかにも楽しそうな声に、政宗が不機嫌な顔をした。
「ひとつ作ってあげるよ」
「いらねぇよ」
政宗の言葉を無視して、佐助は傍らの小刀とあまった竹を手に取り、竹とんぼの羽を作り始めた。慣れた手つきで小刀が動き、あっという間にいかにも竹とんぼらしい羽の形に削られていく。
いらないと言いつつも、政宗は佐助が器用に竹とんぼを作る様子に見入っていた。
「あんたみたいなのを器用貧乏って言うんだろうな」
「貧乏って…」
はい、と手渡された竹とんぼをためつすがめつしながら、見よう見まねで飛ばしてみる。羽が回る乾いた音と一緒に、竹とんぼは垂直に飛び上がった。
「はぁ、すげぇ」
小さな、しかし素直な感嘆の声に、佐助は満足そうに笑った。
「あんた、なんでこんなの作れるんだよ?」
「ああ、これは…」
政宗の問いに答えようとして、ふと幼い頃の記憶がよみがえる。
竹を削る誰かの手と、それを見つめる子供の頃の自分と。
ほんの少しだけ。
何千とある記憶のたったひとつだけ、かすみが晴れた。
そのほんの一瞬が、胸を締め付けるほどに優しい。
「な、なにすんだてめぇ!」
いきなり笑いながら頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる佐助に、政宗が怒って手を振り払おうとした。
佐助は嬉しそうに笑いながら、後へ倒れこむように寝そべった。
「…おい?どうしたよ?」
様子のおかしい佐助に、政宗が遠慮がちに声をかける。
「ほんと、平和呆けしそう…」
青空も、この景色も、昔のまま。
遠くから、子供たちの笑い声が聞こえる。
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(2007/1/24〜2/28)