風切羽
戦前の、この昂揚した感覚が好きだ。
充分に手入れされた刀の柄に手をやり、小さく息をつく。
鞘からゆっくりと引き抜くと、どこに引っ掛かっていたのか、美しい鳥の羽根がひらりと舞った。
あの時のものか。
刀の持ち主はほんの少し笑み、次の瞬間素早く刀を引き抜いて横方にその羽根を切りつけた。
しかし羽根はふわりと鋭い刃をかわし、またゆっくりと目の前に降りてくる。
「誰かさんそっくりだな…」
そっと手を差し出すと、羽根はすんなりとその中に納まった。
* * * *
「さっ、さっ、佐助ぇえーーっ!!」
「え、何?!何で旦那がここにいんの?!」
ここよりはるか東の拠点を守っていたはずの自分の上司が、自慢の二槍を振り回しながら走ってくる様子に、佐助は思い切り顔を引きつらせた。そんな反応にはお構いなしに、幸村が佐助の肩を大きく揺さぶる。
「佐助ぇっ!!真田忍隊の長ともあろう者がっ!なっ、な、なんっ」
「な、何?何なの一体?!」
「破廉恥であるぞ!!」
「…」
一瞬、目の前の男が自分の主であることを意図的に忘れ、佐助は幸村の頭を思い切り平手で叩いた。
「な、なにをする!」
「ああごめん、つい…で、何なの?ちゃんと分かるように言ってくんない?」
「…先刻政宗どのにお会いしたのだが…」
「え、ちょ、だったらなんで持ち場離れてんの旦那!」
「良いから聞かぬか!それでな、政宗どのがいつもの鎧兜を身に着けておられなかったのだ」
幸村の話など、もうほとんど佐助の耳には入っていなかった。
あの独眼竜が来たのなら、幸村がここにいる以上おそらく東の拠点は落とされているだろう。この主の突拍子もない行動のせいで、今、自軍の状況は一体どうなってしまったのだろうか。
「そこでいつもの鎧兜はどうなされたのか、と聞いたのだが…」
まだ自分ひとりが動けばなんとか持ちこたえられるようなら良いが。これには特別手当は出るのだろうか。いや、おそらく無いだろう。つい先日も偵察やら何やらで一日中働きづめだったことがあったが、結局なんの手当もつかなかった。
「佐助に脱がされて手元にない、と」
「はっ?!」
これからの生活設計についてまで思いが飛びそうになっていた佐助は、その言葉に反応するのに少し間が空いた。幸村の眉間に皺がよっている。
「どういうことだ佐助!!」
「こっちが聞きたいよ!なにそれホント知らないよ俺!」
そんな色気のある様相をおびて政宗に相対したことがあるのなら、自分が忘れるはずが無い、ということはあえて言わない。
「だったら佐助は政宗どのが嘘をついているとでも申すのか!」
「なんで自分の部下より敵将信じてんの?!大体ここ最近大将の命令で働きづ…あ」
「な、何だ?!」
そういえば。
仕事の内容と共に、鎧兜をはずした政宗の姿がありありと思い出される。
残念ながら、幸村が言うような「破廉恥」なものではなかったが。
* * * *
伊達軍が、上田城の目と鼻の先まで進軍していた。遠征になるため間はあくものの、攻め込まれるのも時間の問題だ。佐助に下った命は、今回の伊達軍遠征の戦況偵察と、次回の遠征を遅らせるように、というものだった。
「相変わらずよくやるね…」
自ら戦場に出て闘っている政宗を木の上から見ながら、佐助はため息をついた。戦況はどう見ても伊達軍が優勢だった。次の遠征を遅らせるには、方法はひとつしかない。
「悪いけど、怪我してもらうよ」
あわよくば、と、毒を塗った手裏剣を構え、政宗の首筋に狙いを定める。その時、手裏剣を放とうと腕を上げたのとほぼ同時に、突然政宗が馬の手綱を引き、隻眼をこちらに向けた。その鋭い視線がはっきりと佐助の瞳をとらえる。
「くそっ」
佐助は身をひるがえしてその場を離れたが、蹄の音が後から追ってくるのが聞こえた。馬で追えないよう木の多い場所へ向かい、繁みに身を隠そうとして、その先の光景に慌てて後ろにさがった。繁みの先に地面がない。崖、というほどではないが、そこには切り立った斜面が続いていた。
「追いついたぜ、武田の忍」
聞きなれた声に振り向くと、いつものように不敵な笑みを浮かべた政宗と目が合った。
「忍ごとき相手にアンタもしつこいねぇ、嫌われるよ?」
「うるせぇよ、毎度毎度こそこそしやがって…死にな」
「あ、待った待った!ここはちょっと場所が悪いと言うかその、」
「Magnum!」
背後を気にしていた佐助は速度のある突きに一瞬反応が遅れ、避けきれずにそれを武器で受け止めた。しかし衝撃までは止めきれず、後へ飛ばされる。
「うわっ」
「なっ?!」
突然足場を失い、二人はそのまま切り立った斜面へ落下してしまった。
「あーもー、こんなんばっかり…」
「Goddamn...」
斜面の途中に申し訳程度に生えた、いかにも頼りない木の枝に、二人はなんとかつかまっていた。しなった枝が、男二人分の体重に耐えられずに嫌な音をたてている。佐助と政宗は思わず顔を見合わせた。
「こりゃまた難儀なこって」
「っ!動くな馬鹿…!」
「お、いいねその台詞」
佐助が木の上で器用に体勢を立て直すと、その振動に政宗が慌てて木にしがみついた。
見上げると自分達が先ほどまでいた場所は遥かに高く、斜面につかまる場所はほとんどない。下に見えるのは岩ばかりで、落ちればとても助からないだろう。
「どうします?独眼竜の旦那」
刀を鞘に収め、なんとかその場に落ち着いた政宗は、ちらりと佐助の方を見てすぐに目を逸らした。
「何?」
「腹の立つ野郎だな…とっとと行けよ」
今度はその鋭い目で睨みつけ、大きく舌打ちをする。
どうする、などと聞いているが、佐助にはあの鳥がいる。いざとなればさっさと飛んでいけるというのに、なんの手段ももっていない自分にわざわざそんなことを聞いてくる相手に、政宗はその派手な頭を思い切り殴りつけてやりたくなった。佐助もようやくそれに気付き、思わず顔をにやつかせる。
「どうする?このままいたら木折れちゃうけど」
「……」
「助けてあげてもいいけど?伊・達・ちゃ」
「っせぇな!このっ!!」
二人がつかまっている木が、ひときわ大きな音を立てて揺れた。佐助と政宗は一瞬固まって黙り込む。それ以上木が傾かないのを確認し、佐助が苦笑した。
「忍に助けられるなんて嫌かもしれないけどさ、今だけ我慢しない?」
「……」
「矜持も大切だけどね、一応国主さまなんだから」
一応は余計だ、という政宗をかるくあしらい、佐助は鋭く口笛を吹いた。その音は大きくこだまし、しばらくすると美しい鳥が佐助の元へ降りてきて二、三回軽く羽ばたき、佐助が差し出した腕の上にとまった。間近で見ると、ずいぶんと大きく感じる。
「…いくらその鳥でも二人は無理だろ」
「そんなにヤワじゃないさ。でも」
そう言って笑って見せる佐助を、政宗は睨みつけて先をうながした。
「その鎧、ちょっと重量超過なんだよね」
「高ぇんだぞこれ」
「殿様なんだからけちくさいこと言わない」
「Shit...」
政宗は少し逡巡し、その特徴的な兜をとると、佐助の方へ思い切り投げつけた。佐助はそれを片手でかわし、いかにも不満そうな顔で鎧をはずしはじめた政宗に笑ってみせる。
「…何だよ」
「いやぁ、はずし方覚えとこうと思って」
今度は鎧が、先程よりも強く投げつけられた。
* * * *
「佐助!やはりお主がっ!」
「だから、旦那が考えてるようなことじゃありませんって」
佐助の態度に幸村は今にも掴みかかりそうな勢いで問い詰めてくる。説明が億劫で、どう誤魔化そうかと佐助が大きくため息をついた時。
「俺を無視するたぁいい度胸じゃねぇか、真田幸村」
振り返ると、青い陣羽織に身を包んだ、いつもと比べるとずいぶんと軽装な政宗が、刀をこちらへ向けて立っていた。兜がないため、いつもより表情がはっきりと見える。
「ま、政宗どの!けして無視したわけでは…!」
「ちょっと独眼竜の旦那!俺が脱がせたなんて誤解を招くような言い方しないでよ!」
幸村と佐助の様子を見ながら、政宗が左目を細めた。刀を下ろし、口の端をほんの少し上げ、左手の親指で軽く唇をなぞる。表情がよく見えるだけに、いつも以上に妖艶さが増して見える。
「Oh、そうだな…少し語弊があった」
「頼みますよ、ほんと」
「佐助に脱げって言われて自分で脱いだんだよ」
「へ…」
「さっっっ!佐助ぇ!」
「うわっ!おお落ち着いて旦那落ち着いて!」
改めて掴みかかってきた幸村は、政宗の台詞とその流し目にあてられ耳まで真っ赤になっている。
普段は『武田の忍』としか呼ばないというのに、妙な台詞と共に自分の名前を呼ばれ、佐助は一瞬背に甘い痺れを覚えた。政宗は何が楽しいのか相変わらず笑みを浮かべたままこちらを見ている。
「ほんとに、何考えてんだかこのお人は」
佐助は幸村をかるくいなし、音も無くその場から消えてしまった。
「逃げる気か佐助!」
幸村には佐助がどこに行ったのか分かるらしく、素早く槍を掴んで走り出した。その様子を見ながら耐え切れずに政宗が笑っていると、幸村と入れ違うように小十郎が現れた。
「政宗様、お一人で行動するのはお止めくださいと…どうなされました?」
「何でもねぇ」
笑いを堪える政宗に、小十郎が怪訝な表情をしながらも戦の状況を知らせた。
「いかがいたしますか?このまま上田城へ…」
「いや、一度退く。兵糧が足りねぇからな」
上田城へ攻め込むには、まずその前にあるいくつもの山城を落とさなくてはならない。
それに、と言いながら政宗は懐から鳥の羽根を取り出し、目の前に落とした。
「これで借りは無しだ」
ふわりと舞う羽根の軌跡をたどるようにゆっくり刀を下ろすと、羽根はやわらかく二つに分かれて散った。
無駄に長くなりました。
(2007/1/2)