Every Happiness




深い眠りの中を歩くような日々。
色を失った世界の中で、前も後ろもわからなくなる。
助けを求めるように歩き続けて、不安で俯く貴方の姿。
あたたかい明かり。
凍りついた情景。

どうか、どうか。

顔をあげて、私を見つけてください。



冬の夕暮れ、街外れにある新興住宅地。
多少不気味なほどに左右対称のとれた美しく薄暗いアスファルトの道は、稀に車が走り去る程度で、人の気配はほとんどなかった。ぽつりぽつりと、政宗が歩く先を街灯が小さく照らしている。同じ形をした家々が建ち並ぶその道を、政宗は下を向いたまま歩いていた。
白と黒を基調とした建物の前衛的な景観は、太陽の下では、その美しいコントラストを惜しみなく映し出し、花壇に植えられた色とりどりの花々を引き立たせていた。
しかしそれも、花の枯れた冬の曇天の下では、くすんだ寂しい道を作るばかりだ。
(あの頃は…)
こんな、底冷えするような虚しさを感じる時、政宗はいつも郷愁にも似た思いを胸の奥に覚えていた。
あの頃は、もっと全てが鮮やかで、眩しくて、何もせずにただぼんやりと歩いている暇などなかったはずだ。
ポケットに両手を突っ込み、ゆっくりと歩きながらため息をつくと、白く淡く視界に広がり、消えていく。
政宗にとって、彼の生きた時間はひとつではなかった。
そのもうひとつの失くしてしまった時間を想うたび、現実から逃れるために自分が作った虚像ではないかと政宗自身疑っていたが、そう思うにはあまりに彼の中に深く根を張っており、切り離すことができずにいた。
もはや記憶とすら言えないその情景の中では、目に映る白はもっと鮮明なものだった。
「政宗様」、と。
そんな風に自分を呼んだ男がいたのだと思い出すと、政宗は胸の奥にある傷を掻きむしられるような痛みを感じていた。



「政宗様、そろそろお戻りください。お風邪を召しますぞ」
聞きなれた小言に、庭先を散歩していた政宗は苦笑しながらその声の主を見た。しかめっ面のその男が続けて口を開こうとしたのを見て、政宗は大仰に肩をすくめた。
すぐ戻る、と答えながらも、視線は戻る方向とは逆を向き、まだ冷たい冬の風を顔にうけながら小さな笑みを浮かべていた。
「見ろよ、小十郎」
名を呼ぶと、は、と生真面目な返事が返ってくる。
「早咲きの梅だ」
「…これはこれは、風情がありますな」
冬晴れの美しい青空の中、僅かに枝先を彩っていた小さな白い梅の花に、小十郎が感嘆の声をもらした。その声色に政宗は気を良くして振り向き、悪餓鬼のような笑みを見せる。

こんな他愛ない会話が嬉しくて、何度も、何度も。
毎日、静かに言葉を重ねていた。

不意に庭先の風が踊り、さっと梅の花びらをひとつ攫っていった。空に舞う花びらは時折ぼんやりとした雲の白に隠れては現れ、やがて遠ざかり、消えていく。
雲の白に花びらが溶けていった先を見つめながら、政宗は瞬きもせずに呟いた。
「今年も、きっと満開の梅は見られねえな」
「…」
冷たい風が、ふたりの間の静寂を優しく撫でていく。
最後に、まるで霞のように庭先に咲いた梅を見たのは、一体いつのことだっただろう。
絶え間無く続く戦は、政宗がここに留まることも、満開に咲き誇る梅の花を愛でることも許しはしなかった。

「政宗様」
優しい声に振り向くと、小十郎の真摯な表情が政宗へ向けられていた。
「…今、貴方は、お幸せですか?」
まるで、眩過ぎるほどの白が一瞬で頭の中に広がったような感覚に、ぐらりと視界が揺らいだ。
毎日毎日、繰り返し紡ぐ言葉が、まるで風花のように綺麗で、嬉しくて。しかしそれは決して白く地に積もることは無く、音もなく消えてしまうものだということから、必死に目を逸らし続けていた。
小十郎の言う”貴方”が、公人ではなく私人としての政宗だとういことが、彼の言葉を残酷な問いに変えていく。
政宗は目を見開いたまま、乾いた口から無理やり音を出そうと息を吐いた。
(これ以上に、何を望むというんだ)
望めば、きっと目の前の情景はがらりと色を変えてしまうだろう。

小十郎はただ静かに、政宗の言葉を待っていた。
「…俺は、この国のためにあり続けたいし、民に望まれる当主であることが幸せなんだと、思いたい」
絞り出した言葉がひどく空虚な気がして、政宗は気づかれないように震えそうになる手を握り締めた。
必死に押し殺そうとしてきた胸の奥の切望も、目の前の男には見抜かれていたのだろう。

何も言わずに、僅かに悲哀を凝らせた微笑を見せた小十郎に、あの時自分は縋り付けばよかったのだろうか。
失った時間を想うだけの今となっては、その答えを見つけることはできそうになかった。


俯いたまま見つめる冷たい色のアスファルトが、音もなく小さく濡れた。政宗は驚いて思わず自分の左目に手をやったが、それは降り始めた粉雪が落ちて溶けたものだった。
既に夕日は消え、暗くなった雲夜の住宅地で足を止め、顔をあげる。
等間隔に続く街灯が、ゆっくりと落ちる粉雪と一緒に黒い人影をひとつ照らしていた。
「……」
真っ直ぐこちらを見る優しげな眼と視線が合って、政宗は息が止まりそうになる。

「政宗様」

ああ。
どうすればいいのだろう。
何と答えれば良かったのだろう。

懐かしい声を聞き、粉雪と一緒に水滴がひとつ、アスファルトに滲んだ。
掻きむしられた傷の痛みと押し殺した切望に、鼓動が少しずつ速くなる。



「…今、お幸せですか?」




静かな白に視界を奪われて、俯いたまま歩き続ける貴方に。
顔をあげて欲しくて、そっと声をかけただけ。
それだけなのに、甘えてくれる貴方が嬉しくて、何度も、何度も。
何百年経っても、貴方を探してしまう。











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話を書き始めてから書き終えるまでよりも手直しに時間がかかってました。何故…orz
(2009/2/2)