08.陶酔カクテル
「自主休講、お疲れ様です」
「うわっ?!」
不意に首筋に冷たい缶コーヒーを当てられ、空き教室でぼんやりとしていた政宗は座っていたイスから派手に飛び上がった。
「てめっ、死ね!」
「うわ、せっかくコーヒー買ってきてあげたのに」
大仰に肩をすくめる佐助を睨みつけ、政宗は勢いよくその手からコーヒーを取り上げた。
夏の昼下がり、講義中も空き時間も問わず、学生たちがまどろむ時間帯。
2階の空き教室の窓は、強い日差しをうけてきらきらとそよぐ木々の緑が覆っている。空調のない講義室の中では、この教室がいちばん涼しい。
それを知ったのが1年の時なので、既に3年間、怠惰な夏の昼下がりをここで過ごしたことになる。
「また講義さぼっちゃって…単位足りてる?」
「出席とってから出てきたし、元親にノート頼んである」
「ふーん…」
いつもと変わらない会話が、どこかぎこちない。
聞けない、言い出せない。
正面からではなんだか話し難くて、政宗の隣のイスに座って体を彼のほうに向ける体勢が、佐助の大学生活の定位置になっている。
その位置に、4年目にしてどうしようもないもどかしさを感じていた。
4度目の怠惰な夏は始まったばかりだというのに、皆、次の新しい進路への準備を始めていた。
毎年、毎夏、毎日。
水滴のついた缶コーヒーひとつで、夕方までくだらないことを話した。
幸村と元親が加わると途端に大騒ぎになり、さらに慶次が参加すれば必ず隣の教室で講義をしている教授に怒られた。
「あのさ、」
「ん?」
「えーと…」
「何だよ」
「…二次面接合格おめでとう」
「ああ…」
聞けば誰でも知っている、有名な外資系の企業。
どこでもいいから、内定一つもらえばいい。そんなことを言って、あっさり一流企業の最終選考に残ってしまうあたり、もって生まれた資質が違うのだと思わずにはいられなかった。
現に、元々生まれが違う。
政宗の家は歴史ある名家で、かなりの大地主だった。
「なんで教えてくれなかったの?」
「別に…。まだ内定決まったわけじゃねえし」
ただでさえ高かった壁に、鼠返しまでついた気分だ。
せめて家に残るというのなら、適当な口実で会いに行くこともできるだろうに。そんな遠くへ行かれては缶コーヒーも渡せない。
「そのまま家の土地継いじゃえば就活なんてしなくていいのに」
「うるせえなぁ…いいだろ、別に」
会話が途切れ、窓から夏の風が入り込む。
隣の教室から聞こえる講義の声が、静かな空気を弥が上にも引き立てた。
「そう言や、お前はどうすんだよ?」
「え、俺?」
「就活とか全然してないだろ。院生にでもなんのか?」
まさか、と佐助は曖昧に笑い、コーヒーを一口飲んでから小さくため息をついた。
「むかし実家で喫茶店やってたんだけどさ、両親死んでからやめちゃったんだよ。だから俺がまた開こうかなぁ…なんて」
うだつなど上がらなくても結構。
そう思っていたが、政宗と比べるとあまりにもささやか過ぎる生き方に、佐助は少し口ごもった。
「へぇ、お前にしちゃ粋なことするじゃねえか」
「はは、気に入った?なんならウチで働かない?」
4年間、同じ場所で同じ時間を過ごしたと言うのに、これから先の道が180度違う。
半分やけになりながら、佐助が冗談をかえした。
「おう」
「あはは…、はぁっ?!」
考えてもいなかった返事に、佐助は飲もうとしたコーヒーをそのまま床へ落とした。その反応に政宗が思い切り顔をしかめる。
「なんだよ、てめぇから言い出したんだろ?嫌なのかよ」
「いや、そうじゃなくて!」
「そんじゃ、内定出たんだな?」
「は、はい」
「よし、就活終わり!よろしく頼むぜ、店長」
言いながら、政宗がイスから立った。
講義終了の予鈴が鳴り、政宗が教室から出て行っても、佐助はしばらく放心したようにイスに座ったままだった。
「政宗!ノートとってやったぞ…、あれ?佐助だけか?」
教室に入ってきた元親の声に、佐助がぼんやりと振り返る。
「…チカちゃん」
「な、なんだよ、気持ちわりぃな」
「俺、嫁さん貰った」
呆けたままそんなことを言い出す佐助を見ながら、暑さでどうにかしてしまったのだろうかと元親は顔をひきつらせた。
ああ、ほら。
あの人がいるだけで、こんなにも道が違って見えるなんて。
いつもよりは良心的にサスダテになったはず…多分。
たまにこういうの書くと楽しいです。
(2007/6/21)