05.残り香は紫煙




温かい風が静かに顔に吹き付けてくる。
苦無の手入れをしていた手を止め、佐助は庭木の枝の上に座ったまま空を見た。
白い空は、春特有のどこかかすんだような色合いで、柔らかく散った雲が風に吹かれている。
うつろいが、早い。
高い空の下、稲を刈る人々を見たのがつい最近のように感じているというのに、気付けば先の戦で負った傷も癒え、以前と同じ静かな暮らしが戻っていた。
磨き終わった苦無をひとつ手に取り、日にかざした。鈍く光る刃の先に、新緑の木の葉が舞う。佐助は指先で軽く苦無をまわし、投げた。向かいの木に苦無が刺さる小気味良い音が響く。

『なぁ…』

さらさらと揺れる東風の音の中に、耳慣れた声を聞いた気がした。

『あんたが生きてる限りは、多分、俺は…』

はっとして、佐助は先程より強く苦無を投げた。それは風を裂き、深く、木の幹に打ち付けられる。

(どうして、)

あの時も、こんな温かい風の吹く季節だった。

(どうしてあんなことを言った…)



「あんたが生きてる限りは、多分俺はこうしていられる」
唐突にそんなことを言われ、武田からの書簡を手にしたまま、佐助はまじまじと庭先で煙管を燻らす政宗を見た。
佐助の様子に政宗が気まずそうな顔をする。おそらく思わず口から出てしまっただけなのだろう。取り繕うように、だから、と言葉を続けた。
「あんた、影だろ。人じゃねぇ」
「はぁ、まあ…」
「影に話しかけたって会話にゃならねえ。だからこれは俺の独り言だ」
頭をがしがしとかきながら、彼らしくない物言いをする。
「ひとりの時くらい、国主でなくてもいいだろ」
その言葉と、自分の態度を誤魔化すかのようにわざと不機嫌そうに紫煙を吐く政宗に、佐助はようやくその意味を理解して表情を緩ませた。
政宗らしくない物言いは、何のことは無い。政宗らしい湾屈な表現だった。
「竜の旦那、俺様のこと結構気に入ってるでしょ」
「何言ってんだ、てめぇ」
「安心してよ、俺様こう見えてしぶといからさ」
「見たまんまじゃねえか、この芥虫が」
不意に政宗が佐助の方へ顔を向け、ふっと煙を吹きかけた。それがまともに目や喉の奥に届き、佐助は涙を滲ませながら咳き込んだ。
ぱし、と手に持っていた書簡を取られ、佐助が無理やりに目を開くと、涙で滲む視界に政宗の姿が見えた。

それが、いつもの皮肉な笑みとは違うものに見えて、佐助は思わず息を呑む。

そのまま立ち去る政宗に声をかけることもできず、佐助は紫煙の残り香と共にその場に残され、ぼんやりと後姿を見送った。

どうして今そんなことを言って、そんな風に自分に微笑するのか。
どうしてあの書簡は、この季節の美しさではなく、戦の始まりを告げるのか。

そんな、一介の忍びが考えても仕方のないことを思ったのが、ちょうど一年前のことになる。



(どうしてあんなことを言った…)
佐助を包むようにすり抜けていく温かい東風は、どこかほんのりと春の甘い香りを含んでいる。

『あんたが生きてる限りは、多分、俺は…』

風はやがてこの空、山陰を吹き抜け、静かに、今となっては幻のように響く。



「…アンタのせいで死ねない」



いとおしいほどに甘い残り香だけが、佐助の胸中に微かに苦く残された。










『宵闇10title-10.朝が来れば消えてしまう』の後日だと思っていただければ。
(2007/4/5)