03.一人の夜に懸想する
酷い吹雪だった。
その年の冬は例年にない大雪で、国柄寒さには慣れている奥州でも多くの死者が出ていた。特に山間の小さな村は中央への道を雪に断たれ、物資はおろか情報すら送られず、為すすべもなくただ吹雪が過ぎるのを待つしかなかった。
(まずいな…)
未だ小国の主にすぎない政宗は、城の外の吹雪を見ながら焦燥に駆られていた。
冬が来て吹雪くたびこのような調子では、戦を仕掛ける余裕も暇もない。かつて先代である父が、このような状況の中でも防戦一方ではなかったことを思うと、自身の経験の浅さや力量の無さに歯痒くなる。
それでも政宗は、先代から仕えている老練な家臣の意見に従い、ひたすら待つことしかできなかった。
そんな折である。
この吹雪の中、山奥の村から米沢城までやって来た青年がいた。
* * * * *
小十郎から聞いたところによれば、青年は政宗と同じ年頃で、雪で閉ざされた村の代表として米沢城まで来たのだという。
村を助けてくれと、凍りつき、壊死してしまった手を無理やりに動かして訴えている。
だが助けを必要としているのはこの青年の村だけではない。城下の民を守るだけで手一杯の状態だった。吹雪が去るのを待てと言うと、青年は起き上がろうとし、村へ戻ると言って騒いだ。
「吹雪がいつ去るかもわからないのに、ただ待てと言ってあるのか」
「…政宗様が気になさる事ではありません」
外を見ながら静かに問うた政宗に、小十郎は低く答えた。
相変わらず雪は腕を伸ばした先も見えぬほどに降りしきり、既に正午だというのに城内はどんよりと薄暗い。火鉢の中の炭だけが、ぼんやりと温かい色を保っていた。
「…会ってみる」
「なりません。政宗様には他に仕事がおありでしょう」
「俺の領地の民だ」
「政宗様」
有無を言わせぬ調子で政宗の言葉を遮り、小十郎が深くため息をついた。
「右腕と左手の指、それに両足の指が全て壊死して既に腐れ落ちております」
衰弱しきっており、もう食べ物はおろか水を飲むこともできない。
あなたにお見せするようなものではないと、酷く冷たい言葉を残し、小十郎は部屋から去った。
その夕刻、青年が死んだと聞かされた。
なんという皮肉だろうかと、雪の積もった庭に下り、政宗は白い息を吐いた。
全てを永遠に閉ざしてしまったのではないかと思わせた程の黒雲が、まるで夢であったかのように消え去り、白い雪に、赤い夕陽さえ輝かせていた。
満天の星空の下、ひとり雪の上を歩きながら、政宗は顔も名も知らぬあの青年のことを考えていた。
その死を聞いた時、悲哀も同情も浮かばなかった。
ただ、村を想い、自分の身も顧みずここまでやってきた青年の行動を、愛おしいと思った。
同じ年の頃だと聞いた。
領地を統べる身である政宗が何もできず城の中にいたというのに、青年はあの大雪の中、村を助けるべく歩き続けたのだ。
その青年に、会ってやることすらしなかった。
命を賭して何かを守るということを、政宗は許されていない。
白い雪の上に、点々と孤独な足跡を付けながら。誰かのためにその命を輝かせる全ての人々を、愛おしく、そして遠く感じる。
「…すまない」
憐憫ではない。
ただ自分の無力に、涙がこぼれた。
* * * * *
城に戻る途中、立木に見慣れた人影を見止め、政宗は足を止めた。
「小十郎…こんなとこで何してんだ」
「それはこちらの申し上げること」
普段以上に顔をしかめて、小十郎が深くため息をついた。
一体どのくらいここに居たのだろう。指先は白く、血の気がなかった。
「Ha、なに、手足が凍るほどの寒さってのはどんなもんかと思ってな」
「成程、それは」
「ぅわっ?!」
突然小十郎が手を伸ばし、政宗の首筋に触れた。まるで氷のようなその感触に、政宗は思わず大声をあげて後ずさる。
「例えば、このような」
「ってめ!ふざけんな!」
「随分お待ちしましたから、少々意趣返しを」
言いながら笑う小十郎を見て、政宗はきまり悪くなり、顔をそむけて舌打ちをした。そのまま何も言わずに歩き出すと、小十郎も黙ったまま後に続く。
静かな足音が、背後にある。
それだけで、救われる思いだった。
夜空を見上げ、その澄んだ夜気を一杯に吸い込むと、恐ろしいほどに心が晴れる。
届かなかったあの青年の声が。
後ろにある静かな足音が。
国のため枝葉を切り捨てよと言った家臣達の苦渋が。
全てが、胸を切り裂かんばかりに、ただ愛おしい。
「小十郎」
「はい」
常と変わらない返事に、政宗は振り返った。
「…これからも、ついて来てくれるか」
肝心な部分は、いつも恐ろしくて口にできない。
『この冷酷な博愛に、それでもお前はついて来てくれるのか』
「無論です」
静寂の中に、凛とした声が響く。
ただそれだけで、どうしようもなく、泣きたくなった。
初小政。orz
(2009/1/12)