01.髪に触れるその指が




ひらひらと散る夜桜は、庭に置かれた燈篭の赤い灯に照らされて、そのひとつひとつの淡い色を、翻るほんの一瞬だけ、鮮やかに焦がして地に落ちていく。時折夜風にのって、地に落ちることなく縁側へと吹き込んでくるものがあり、燈篭の灯の届かぬ部屋へ迷い込んだその淡い色は、静かに、紅くその身を染めることも知らず、蒼い着物の上に落ちた。
桜の花と一緒に、夜風の音に紛れて部屋に入ったものがあった。縁側からではなく、蒼い着物のすぐ傍にある窓から入ったそれは、淡い色も、焦がすような鮮やかな色も持ってはいない。暗い影だった。影は静かに蒼い着物に近寄って、その着物の主の寝息を聞くと、小さくため息をもらした。蒼い着物には触れないように、先客の桜をそっと指で拾い上げ、窓から庭へと帰す。
「夜桜で一杯やりたいって言ったのはアンタだろ…」
何寝てんの、と続いた声は、文机に突っ伏している蒼い着物を起こす気はないらしく、夜風のように静かに降りた。

先に声をかけたのは、珍しく佐助のほうだった。
真田の屋敷に客として招かれていた政宗が、明日には奥州へ発つというのに夜更けまで縁側でぼんやりとしていたのを見て、思わずどうかしたのかと聞いてしまった。信州の地から発つことを、ほんの少しでも名残惜しく思っているのだろうかと。それは期待というよりは、この独眼竜にもそんな風に感慨にふけることがあるのかという好奇心からきたものだった。
「酒はあるか」
返ってきたのはたったひとことで、あとは手振りで庭に咲いた桜を示すだけだった。

春の夜風が、淡い薄紅色を静かに眠る蒼の上につれて来る。窓に座って頬杖をついていた佐助が、手を伸ばしてまたそれを拾い上げ、窓の外の夜風にのせる。ただ静かに、何の意味もないその行為を繰り返すうち、ふっと夜風が政宗の髪の上に桜を落とした。同じようにそれを拾い上げたとき、指先に鳶色の髪が触れ、ぱらりとすり抜けて政宗の顔に散った。
その感触が、何も着けていない指先にあまりに微かで、小さな、締め付けるような疼きが喉の奥に沸き起こる。
戦場で見せる圧迫するような気配が、今はこれほどにかそけく寝息を立てている。この微かな息を止めるだけで、ひとつ、国がざわめく。
だが。
(ざわめくだけだ…)
どんなに必死に国を守っても、その実、国主ひとり消えたところで、国というものは人の集まりなのである。その人々が潰えることは、決してない。国を守るために身を盾にしたところで、報われることなどないのだと、佐助は思った。
指先にもう一度その髪をすくい上げてみると、ほんのりとした温かさが夜気に冷やされるのが感じられた。
自分は、この竜にとって夜気であろう。
何故か、そう思った。
温情など、たとえ国のためになったところで、それを与えたものには何も残らないのが上に立つものの常ではないか。ならばその温度の全てを、この身で消してやろう。
ただ、この竜が自身の思うまま、自身の為だけに、国を導くように。
そう思った自分に、佐助は息を呑んだ。
いつの間に、この竜にこれほど入れ込んだのか。
「まいったね…」
指先に鳶色の髪を絡ませ、瞬く間に消えるその温度を感じる。
夜風に運ばれてきた薄紅色の桜が、蒼の上に落ちる前にそっと捕まえ、窓の外になど帰さずに。

静かに、指先で潰した。

この温度を奪っていいのは、蒼を侵食しない暗い夜気だけなのだと。

無残に潰された薄紅色には目もくれず、佐助は穏やか過ぎるほどに、優しく、小さく微笑んだ。










静かな狂気、を意識してみたりみなかったり…(どっち)
薄紅色は、ただ蒼の対比で使っただけなのですが、読み返すと暗喩っぽくなってて、そのつもりはなかったのでちょっと失敗したかなぁと思うのですが。
深読みできなくもないので、その辺は読まれた方にお任せします。
(2007/3/21)