「あれっ?!あんた前に上田で会った忍者だろ!」
その大音声に、周囲の人々の視線が一気に集まった。


…あんまりだ。


茶屋で公然と自分の正体を明かされ、佐助は湯飲みを片手に持ったまま固まった。肩には小猿、頭にはふざけた飾りをつけて、何が楽しいのかにこにこと満面の笑顔で明るく挨拶をする目の前の男を見て、顔が引きつる。
「こんなとこで何してんだい?薬売りみたいな格好しちゃって」
「奥州へ行く途中。この格好は…あんたのおかげでもう意味なくなっちゃったよ」
周りからの視線に耐えかねて佐助が立ち上がると、襟首を掴まれてそのまま座り直させられた。
「おねえさん!団子ふたり分頼むよ!」
前田慶次のこの一言に、佐助は二刻の足止めを覚悟した。





08.今夜だけは




「仕事?独眼竜のところへかい?」
「忍びにそういうこと聞くかねぇ、普通」
運ばれてきた団子へ手を伸ばす慶次に、佐助は深くため息をついた。この男はやたらと人目を引く。今は特に人に見られて都合が悪いということもないのだが、文字通り”忍ぶ”ことを常に生業とする佐助にとっては、どうにも居心地が悪いものだった。
「だったら政宗んとこまで一緒に行こうぜ」
「…あのねぇ」
まるで友人のような気安さで誘われ、さすがに苦笑が漏れる。
「俺はあんたとは違うんだから、忍びが真昼間から堂々と会いに行けるわけないでしょ」
「何で?」
「何で、…って、そりゃ…」
当たり前のことが、改めて考えると妙に苦く佐助の心に落ちる。隣でうまそうに団子を食う慶次と違い、独眼竜の名を呼ぶことも、他愛も無い話をするためだけに会いに行くこともできない。いつでも仕事だ何だと理由をつけないと落ち着かないのだ。
これじゃまるで独眼竜に会いに行く理由を探しているみたいだ、と。そこまで考えて佐助は顔をしかめた。
佐助の分の団子まで食べながら、慶次が突然「なるほどなぁ!」と大声を出しながらぽんと膝を打った。

「恋だね!」
「……は?」

さっきまでの会話の流れで、どうしてそんな結論が出たのか。
慶次はひとり得心顔でうんうんと頷いている。
「”忍び逢い”ってやつかい?いいねぇ!」
「いやいや、”忍び”違い…って聞いてる?」
「照れんなよ!女の足駄にて作れる笛に秋の鹿寄る、ってね!男ってそんなもんだろ?」
「竜の旦那も男なんだけど」
「こりゃ野暮だった、俺ぁ先に行くよ。じゃあな!」
頑張れよ、と言って立ち去る慶次を見送りながら、結局会話らしい会話をしていないことに気が付く。
独眼竜に変なことを言わなければいいが、と佐助が一抹の不安にかられていると、茶屋の娘が遠慮がちに声をかけてきた。
「お勘定は…」
「…」
佐助はもはや何度目かわからない深いため息をついた。


* * * *


夜の帳が下りる頃。
忍び込む必要は無いのだが、ついこうして天井から訪ねてしまうのは、形式ばった面会がどうにも面倒だったのと、それを政宗が容認していたからだった。
書き物をしている政宗を上からみとめ、佐助はいつものように声をかけて下りようとして、やめた。
気紛れに、気配を絶って近づいてみようと思った。
息を殺して天井から下り、音を立てないように抜き足を上げる。政宗は文机に向かったままで、まだこちらに気付かない。
手を伸ばせば届く距離まで近づいた。断続的な、筆が紙の上をはしる音が聞こえる。
腕を上げ、指先が政宗の髪に触れそうになったところで、佐助はそれを引いて苦笑した。
(恋、ね…)
そんな甘い言葉で言い表すには苦すぎるこの感覚は、どこか痛みに似ている。
触れることはこんなにも容易いというのに、触れてしまえばその痛みの理由を、大きさを知ってしまい、きっと引き返すことができなくなる。

「竜の旦那」

声をかけると目の前の背中がびくりとし、あの隻眼が振り向いた。
「佐助か、驚かすな」
呆れ顔のまま「文か?」と聞かれ、佐助は少しだけ思案し、笑う。
「そうなんだけど…」
「何だよ?」
「今日はそっちは”ついで”と言うか…」
「あ?」

「…話をしに来た」

政宗が驚いた顔で珍しいな、と呟き、持ったままだった筆を置いて座を勧めた。色よい対応につい表情が緩む。

今夜だけは、意味も無く、他愛も無い話をしてみたい。
治りかけた傷が疼くような、この感覚に流されてみたい。

そうして話し出してみると、佐助の口は本人が思っていたより饒舌だった。










できればまた慶次出したいです。
リベンジ。
(2007/2/19)