01.闇にまぎれて
ひたひたと、背後から。
こちらが歩くのと同じ速さで、暗い”虚(うつほ)”がついて来る。
こちらが止まれば”虚”も止まり、歩調を緩めれば、やはりあちらも遅くなる。
この斥候が忍びでなければ、あるいはこれほど恐怖を感じることもなかったかもしれない。
同業者であったがため、それに気づき、既に手遅れだと思い知らされた。
刀を握る指先は小さく震え、鼓動が少しずつはやくなっていく。
耳が痛くなるほどの静寂が、身体じゅうに圧しかかる。
ひたひたと。
同じ速さでついて来ていたはずの”虚”は、いつの間にか、手の届くところに這っていた。
* * * * *
敵の放った最初の斥候が、空けた出城に入ってからほぼ半日。
目視できる限りでは二度、幸村の配下の忍びの報告によれば四度、あの出城に敵が入ったが、未だ一人も出てきた者はいなかった。
「この静けさ…味方ながら不気味ですな」
小高い山の上に布かれた陣中でその出城を見ながら、小十郎が政宗にだけ聞こえる程度の小さな声で呟いた。
小十郎がそう言うのも無理は無いと、政宗は霧がかかり始めた出城を見て思った。
あの中には、幸村が選りすぐった忍びが十、敵方の斥候がおそらく四十は入ったはずだ。しかし出城はまるで蛻の殻のように静かで、とても人がいるようには見えなかった。
にわかに、陣中に人の出入りがあった。
見ればあの出城を仕掛けた本人である幸村が、政宗のほうへいつもの人懐こい笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「敵方、退陣の準備を始めた様子」
「そうか…」
戻ろうとする幸村に、政宗がふとあることを思いつき声をかけた。
「真田幸村」
名を呼ばれ振り返った幸村に、にっと笑んで見せる。
「あの出城の中が見たい」
* * * * *
(まだか…)
暗闇の中で顔に付いた血を拭いながら、佐助は小さく息を吐いた。
光の無い建物の中では時間の感覚がおかしくなり、まるでもう一日経ってしまったような錯覚を起こしていた。
それでも未だ敵が退いたという知らせは来ない。
人が来れば、その首を斬る。
骸を隠し、また人を待つ。
神経を張り巡らせ、単調にその作業を繰り返していくうち、じりじりと身の内が苛立ちはじめる。
(まだか…)
来い、来いと、心が冷たく落ち着いていく反面、生じた苛立ちは焦がすように熱い。
(敵は、まだか…)
ぎしりと、どこかで床が鳴った。
周りの影がその音に反応したのがわかる。
佐助の小さな合図に、床下に潜んでいた者や、壁にぴたりとついて息を殺していた者が、音も無く動き出した。
気配をたどり、天井の板をそっとはずすと、人影がひとつ廊下を歩いていた。佐助は周囲に他に人がいないことを確かめると、人影の背後に回り込み、その歩調に合わせて天井から廊下に下りた。床に足が着くのと同時に身体を落として重心を下げ、相手の様子をうかがいながら、ゆっくりと立ち上がる。
背後からそっと首筋に毒を塗った忍び刀を当てたとき、佐助の全身から血の気が引いた。
「やるねぇ、全然気づかなかったぜ」
「…っ」
佐助は飛び退くように後ろへ下がり、瞠目した。目の前にいたのは、政宗だった。
「は…、何考えてんだよ…」
「あ?」
「殺すところだった」
「惜しかったな」
声を出して笑う政宗に、佐助は大きくため息をついた。手で投げやりに合図を送ると、張り詰めていた空気が緩み、暗闇に潜んでいた忍びたちが姿を現して緊張からの解放に体を伸ばした。
政宗が忍びたちの様子を面白そうに眺めていると、突然目の前に佐助の手が差し出された。
「…何だよ?」
「ご褒美。こんなに頑張ってんのにあんな試すようなことされちゃ割に合わないね」
それを聞いた周囲の忍びたちが一斉に歓声をあげる。政宗は隻眼を少し細め、いつものように薄く笑んで佐助に近づいた。
「―――」
耳元で囁かれた政宗の言葉に、一瞬佐助の表情が固まる。
「よぉし、お前ら!今夜は好きなだけ飲んでいいぞ!」
政宗の威勢の良い声に、歓声がさらに大きくなった。固まっていた佐助が、はっとして政宗のほうを振り返る。
「それじゃ、『今夜』伺いまーす!」
歓声の中で、佐助の声がひときわ浮かれて響いた。
お題09.『闇の花束』の続きになります。
別々でも多分大丈夫…。
バレンタインなので佐助にもいい思いさせてみました。
内容は全然関係ないですけどね。
(2007/2/14)