2007/8/24 Log




ぱちりと扇を閉じる音が真田の館の縁側に響いた。暇を持て余し、庭先の掃除をしていた佐助はちらりと縁側に座って気難しい顔をしている男を見た。真田昌幸である。
「ならんなぁ…」
いつもならば、戦でもないのに軍議のための戦図を広げ、その上の駒を動かしては唸っている昌幸が、今日はどうしたことか虚空を睨んだまま思案顔をしている。
独り言のようにも聞こえたが、何も聞かないのも無礼だろうかと思い、佐助は少し間をおいてから口を開いた。
「何がです?」
「忍びのお主に言うて何になる」
「はぁ、全く左様で…」
言葉に他意はないのだろう。確かに、いつも昌幸の頭の中にある策謀は、およそ佐助には関係の無いものだった。分かっていても、彼に対する取っ付きづらい印象は、佐助が初めてこの真田の屋敷に来た時から変わっていない。
庭の掃除を終え、佐助は背を後ろに逸らせて大きく伸びをした。ふと見ると、昌幸はいまだに縁側で難しい顔をしている。
一体どうしたというのか。
どこからか入ってきた薄汚れた野良犬が昌幸の思索の邪魔をしないよう、佐助はその犬を撫でてやりながら出来るだけさり気なく昌幸の様子を窺った。忍びに言っても仕方が無いと言ったからには、自分にはさして関係の無いことなのだろう。それでもあれほど真剣に、一刻ほども唸っていられては、下に仕える身としては不安である。
まさか、戦か。
真田の領地は、今や上杉、北条、徳川という強敵に囲まれ、まさに風前の灯といった状況だった。それでも領土を保っていられるのはこの昌幸と言う男の運か、才能か、それとも郷土への妄執だろうか。
突然昌幸が立ち上がり、ぱちりと一際大きな音を立てて扇を閉じた。その音に驚いて、佐助も犬を抱えたまま立ち上がった。
「決めたわ、くるみそばじゃ」
「……はいっ?」
佐助の存在をとうに忘れていた昌幸は、少し驚いた様子で「いたのか」、と呟いた。
「くるみそば?」
「うむ、今日の昼餉よ」
ああ、そりゃ忍びには関係ありませんよね。
妙な気疲れをした佐助は大きくため息をついた。それに合わせるように、抱え上げたままだった犬が尻尾を振りながら一声吠えた。
「あー、よかったらお作りいたしますよ?」
「なんと、作れるのか?」
苦笑しながら頷けば、昌幸は珍しく嬉しそうに声を立てて笑った。
「これは良い。幸村も呼んでやれ」
「へーい」
多少奇矯な人物のほうが、こういう二進も三進も行かない状況では頼もしく思える。
なるほど武将に少しおかしい者が多いのはこういうことかとひとり得心し、佐助は厨へ向かった。










上田で食べたくるみ蕎麦はとても美味しかったです。